遠藤夕幻オフィシャルサイト

書道家 遠藤夕幻について

遠藤夕幻について。About YUGEN

遠藤夕幻と申します。

ぼくにとって書道は、自分を表現するための手段の一つです。筆を持つことの他にも、身体、声、言葉、文章など。たくさんの手段があると考えいます。

それでは、何故。その中でも、特に書道なのか。 そのこたえは、とてもシンプルです。

それは、「書道が大好きだから」ただそれだけ、です。

働き方が多様化し生き方を見直し在り方を問われる そんな時代だからこそ

「好きなことを、“大好きだ” と言える力」

この力こそ、次世代へと繋ぐ架け橋だと信じて。遠藤夕幻は、“大好き” を伝える表現者で在りたいと思っています。

筆を持った遠藤夕幻

プロフィールProfile

遠藤夕幻( 本名: 遠藤友亮)ENDO YUGEN

昭和61年8月14日生まれ。

建築関係の家系である父と、元銀行員である母との間に生まれ、幼少期は東京の江戸川区で育つ。

工務店を営みながら油絵や書道、篆刻などを嗜む祖父の膝の上で、帰省するたびに3歳の頃から一緒に筆を持ち書道に触れていた。

18歳の頃まで地元小岩の和同書道教室に通い、いつしか「書道で食べていけるようになりたい」と、プロになることを決意し進学をする。

目黒区にある日本書道専門学校を卒業。

その後、就職活動は一切せず。見聞を広めるために、バイクで日本一周の旅に出る。

自ずと書道の道具を造る職人さんのいる地域に導かれた。
全国各地、作品を書き残しながら日本一周を達成。

その後、「夕幻書道教室」を都内で開講。
5年ほど教室を続け、5カ所で教室を構え生徒も100名を超え、これからと思っていた矢先、
実母から「癌になりました」という一通のメールが入る。

そこから、遠藤夕幻の人生は一変し、母は一年半後に他界。
“死” と真っ正面から向き合う闘病生活だった。
(詳しくは、著書の自叙伝・作品集「あなたがいたからできたこと」)

その二年後に、息子の「鈴祈(すずり)」が誕生。
今度は “生” と真っ正面から向き合うことになる。

こうして遠藤夕幻は、短期間に起こった様々な人生の転機を経て、書道に向き合い、作品にも変化が生まれる。
家族で淡路島にいき、拠点を構えたのもその一環である。

現在は、淡路・東京・横浜・札幌・出雲・沖縄など。
全国各地を巡り、多拠点生活を実践しながら「書道の本質」を模索し、探究し続けている。

主な活動Activities

夕幻書道教室:代表
著書:あなたが いたから できたこと
(自叙伝・作品集)

2008年
日本書道専門学校 卒業
バイク日本一周の旅 開始
2009年
夕幻書道教室 開業
2014年
武蔵野美術大学 特別講師(5年間)
2015年
フジテレビ「ONE hour Sense」書道講師
2016年
作品集「あなたがいたからできたこと」出版
2017年
東京ビックサイト「三十路祭り」出演
2019年
映画「MIKOSHI GUY 祭の男」題字 揮毫

□ 作品展 □

2011年
「ひとりじゃ なんにもできません」
2016年
「あなたが いたから できたこと」
2019年
「いきる いのち」(東京/大塚)
2020年
「生きる ちから」(8月/銀座)
2020年
「原点」(9月/札幌)
2021年
「祈りの新月満月展」(12月/札幌) 
両手を前にした遠藤夕幻

主な活動Activities

夕幻書道教室:代表
著書:あなたが いたから できたこと
(自叙伝・作品集)

2008年
日本書道専門学校 卒業
バイク日本一周の旅 開始
2009年
夕幻書道教室 開業
2014年
武蔵野美術大学 特別講師(5年間)
2015年
フジテレビ「ONE hour Sense」書道講師
2016年
作品集「あなたがいたからできたこと」出版
2017年
東京ビックサイト「三十路祭り」出演
2019年
映画「MIKOSHI GUY 祭の男」題字 揮毫
 

□ 作品展 □

2011年
「ひとりじゃ なんにもできません」
2016年
「あなたが いたから できたこと」
2019年
「いきる いのち」(東京/大塚)
2020年
「生きる ちから」(8月/銀座)
2020年
「原点」(9月/札幌)
2021年
「祈りの新月満月展」(12月/札幌) 

プロフィールProfile

遠藤夕幻( 本名: 遠藤友亮)ENDO YUGEN

昭和61年8月14日生まれ。

建築関係の家系である父と、元銀行員である母との間に生まれ、幼少期は東京の江戸川区で育つ。

工務店を営みながら油絵や書道、篆刻などを嗜む祖父の膝の上で、帰省するたびに3歳の頃から一緒に筆を持ち書道に触れていた。

18歳の頃まで地元小岩の和同書道教室に通い、いつしか「書道で食べていけるようになりたい」と、プロになることを決意し進学をする。

目黒区にある日本書道専門学校を卒業。

その後、就職活動は一切せず。見聞を広めるために、バイクで日本一周の旅に出る。

自ずと書道の道具を造る職人さんのいる地域に導かれた。
全国各地、作品を書き残しながら日本一周を達成。

その後、「夕幻書道教室」を都内で開講。
5年ほど教室を続け、5カ所で教室を構え生徒も100名を超え、これからと思っていた矢先、
実母から「癌になりました」という一通のメールが入る。

そこから、遠藤夕幻の人生は一変し、母は一年半後に他界。
“死” と真っ正面から向き合う闘病生活だった。
(詳しくは、著書の自叙伝・作品集「あなたがいたからできたこと」)

その二年後に、息子の「鈴祈(すずり)」が誕生。
今度は “生” と真っ正面から向き合うことになる。

こうして遠藤夕幻は、短期間に起こった様々な人生の転機を経て、書道に向き合い、作品にも変化が生まれる。
家族で淡路島にいき、拠点を構えたのもその一環である。

現在は、淡路・東京・横浜・札幌・出雲・沖縄など。
全国各地を巡り、多拠点生活を実践しながら「書道の本質」を模索し、探究し続けている。

無添加書道を語る遠藤夕幻

無添加書道とはMutenka Shodo

無添加書道とは、夕幻自身が思う「書道の在り方」をいいます。

会派や所属。
地位や肩書き。
賞を受賞した数、など。

それらは夕幻にとっては、書道に対してあとから加えられた “添加物” のように感じてしまい、核心に迫る出来事ではないように思いました。

混じりっけ無しの、純粋無垢な状態。

書道の本質を探り、実践して生きていきたいという、夕幻自身の書道に向き合う姿勢や精神性を “無添加” と言い表しました。

その土地の水で墨を磨り
対話して言葉を練り上げ
道具と職人さんに感謝し
祈りとともに書き上げる。

書道を生業とし
書の道で生きる決めて
まだまだ無添加書道のみち半ば、
と云ったところです。